「春の告白」今年もやってます
今年も「春の告白」やってます。(今年で6年目突入です)
twitterの検索窓に #harukoku を入れてもらえれば、リアルタイムの動向が観測できます
あとこことか
これとかあります
「春の告白」通称 HARUKOKU とは、
“誰とも共有されることなくそっと自分の中にしまわれる春の訪れへの感動を共有する試み”
です。
もし興味あれば、http://www.harukoku.com/ に過去5年のアーカイヴスがあります。あと、twitterアカウント harukoku が、この5年分のアーカイヴスを過去の同日同時刻につぶやいています(botです)。どんなノリか参考になるかもです。
ぐっと促されますよ。
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今年のメインサイトはこちらです
harukoku2010: http://www.harukoku.com/2010/
これは開かれた集まりです。
twitter、flickrグループ、それぞれに遊び場がありますよん
というわけで、春めいてきたこの頃、ご興味あれば「春の告白」参加できますので、ぜひー
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均衡する点描:村上躍論
これはギリシア土器でしたが、あまりに美しかったので、今の住まい方に使えるよう仕立て直しましたが何か。と言われても不思議に思われないような、時代を超えたおおらかさが、私を受け容れてくれる
村上躍(Yaku Murakami)は陶芸家。
以下、村上さん本人の考え方について、cafe&galerie BUNANOKIより引用します。
錆びた鉄や剥ぎ落とした土壁、風化した岩など自然がつくり出す無作為の美しさ。時を経て存在感を増してくる「物」の持つ力。自分がつくる物にも「物」として自立した美しさや力強さを持たせたいと思っています。(村上)
ポットは、かたちがきれいでも、注ぎ口の湯切れが悪く垂れてしまうものや、急須の中の網の具合で茶が残っているのに詰まってしまうなど、なかなか気持ちよく使えるものが案外すくないものです。
村上さんのポットについて、レストラン・カフェ&器のギャラリー|季の雲 [ときのくも] より引用します。
躍さんのポットは一度使ったら離せなくなるほど 切れのよさ 注がれる水量も気持ちがよく 葉詰まりもなく 誰もが絶賛です。
先日、上記「季の雲」で、ようやく実物を手にとり、そしておもったので、記録しておく。
モノが、内側と外側から空間に、バランスするポイント
村上の仕事をみて、それがモノの有り様なのかではないかと考えた
クラフトは、均衡点をその都度さぐり、つくる
ゆえに同じものがひとつもない。にもかかわらず、同じものでもある
村上のポットに惹かれている私の現在の感覚は、
その均衡点が、手びねりによって、いわば点描的に探られ、パーティクルとして現れていると感じるから
そう思った瞬間、するりと抜け出すなにかもまたあり
これは人の手が入れてあるから、気をゆるめて大丈夫だよ、という佇まいが、それがそばにあることで、なごむ
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村上躍 展覧会 at『季の雲』長浜, 滋賀, 2010/3/20sat – 28sun
季の雲 NEWS
TOKI no KUMOのブログ: http://blog.livedoor.jp/tokinokumo/archives/1135978.html
季の雲: http://tokinokumo.com/
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うつわをつくる人は、その日の体調や気象から、感覚の揺らぎから、大きな価値観の推移までが写し出されてしまうんじゃないかと思った。
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5年前のある日、自分のつくる料理が、まずくはないのに、見た目がおいしく見えない自分の心の貧しさに気づき、ショックを受けた。それから、何かを求めるように、うつわを探しはじめた。
一番はじめにぐっとときたのが、この村上躍のポットだった。
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さらに10年前に、どちらかというと、料理を作るよりも、作った料理を皿に盛るのが、たまらなく楽しいと気づいた。食欲をそそるのは、リミッターを外していいのだ!と
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春先になると無性に聴きたくなる十選
この連休に入り、急に春っぽいお天気になりましたよねー
ぬくといわー
この季節になると無性に聞きたくなる曲ってのがあって、十曲選んでみた。
そろそろ花見の季節、BGMにでも使ってくだされ
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盆の上の梅、齢400歳
先日、盆梅展に行ってきました
盆梅のほかに、建築も七代目植治の庭も見応えあり。
個人的に、消化不足なところもいっぱいあり
来年、もいっかい見に行かねば!と今の気持ちを書き留めておきます。
(近況:mac復旧しました。半月かかりましたが。。)
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ラップトップ、ハードディスク抜きで。
先日クラッシュした模様はお伝えしましたが、話しっぱなしもあれなんで、後日談を今回は。
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macbookの電池パック裏から、先日壊れたハードディスクを粛々と取り出す。
さて次のハードディスクを購入すべく、ネットで調べようにも、手元にあるのはiPhoneと10年前のibookのみ。
iPhoneで調べるもflashが見えぬゆえ、それではとibookで見ると、こっちはAJAXに対応しているわけがなく、互いにずいぶんアヴァンギャルドな表示を行きつ戻りつ補いながら、なんとか型番やら相場やら、ひっかけ問題かのごとき機種との相性など調べ調べ、調べ、最終的に、注文までたどり着くにはガッツが至らず、今日のところはここまでで終える。
次のハードディスクを見繕うという本日の大仕事を気力尽き果て留めるも、手元にはHDDがなければただの白い板のmacbookが鎮座していることが気に入らず、なにか有意義な使い道はないものかと思案し、そういえばと、大昔にロジックボードの焼き切れで亡くなった、先代のibookから救出した10GBのハードディスクをUSB接続の外付けHDDケースに入れてあったことを思い出す。
もしやと思い、macbookにまずはleopardのインストールDVDをくわえ込ませ、反対側にはそのUSBケーブルを差し込む。次にCキーを押しながらブートすると、leopardのインストール先にはUSB接続のハードディスクが現れた。きょうびのOSを10GBに納めるには、ずいぶんトリッキーに落とし込むことは避けられず、インストール項目から他言語やらドライバやらx11まで解除し、ようやく完了。そして未だ内蔵ハードディスクは空のまま、USBを差したmacbookを再起動してみる。
ビンゴ。
いくぶん難儀するも、無事ウェルカムの画面がやってきた。こちらこそ、ようこそ。
ひとまずOSは走ったが、残り容量が数MBではアプリケーションの2次キャッシュが切迫する恐れもあり心もとない。インストールの終えた後もiTunesやらMailやら、さくさくデリート。
なにぶん手探りのこともあり、うっかりシステムの一部まで削除しシステムフリーズ、再インストールを数回するはめに陥った。
10GBの容量との兼ね合いから、最終的にsafariとgoogle chrome、evernoteのクライアントソフトとテキストエディタだけに落ち着いた。図らずもネットブック状態。
選択肢の内で最善の手だてと言えどもmacbook本体で出来ることは非力極まりない。しかしながら、必要なツールとデータの保存先はクラウドのサービスで確かに事足りる。
奇妙な経緯から、うっかりこのような場所に出てきてしまったこともあり、その光景は、フルサイズのワンルームの室内に、テントを張り、シェラフで寝食するかのごときコンパクトっぷり。そして、またそれが案外居心地よい。ああ、こういう使い方をネットブックは出来るのか、と。インターネットの中をビバークしながら突き進むかのごとき新鮮な感覚だ。ネットブックとは、かくも身軽なものなのかと、今更になって思い知る。
牛丼、牛抜きで。的ななにか。
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クラッシュ・ハードディスク
うっむー。ひとまず報告を。
ハードディスク、クラッシュしました。macbook, leopard。ちょうど一件仕事が完了したあとで不幸中の幸い、というのかどうか。
これまで平均年一遭難程度だったのが、今回は8ヶ月しかもたなかった。
恐ろしや。
モノの扱いはソフトな方なんですけどねー。
ソフトコア野郎。と言ってみる。
原因は分かんないけど、人柱的に、クラッシュ前の状況を書きとどめておきます。
とある実験に、HDDの120GBを占めている、割に小さいデータ群へのランダムアクセスを集中的にやっていた。iTunesでシャフルプレイするのによく似たことですよ。
CPU負荷やらファンやらに変わったところはなかった。
quicklookが効かなくなって、ctrl+tabのアプリ切り替えも効かなくなり、フォルダ表示に異様に時間がかかり始めたところで、カッツンカッツンというプラッタに引っかかる、れいのサウンドが出たところで、終了。
あ゛ーHDD交換では連動してiPhoneのデータはすべて消去です。とかヒドいことappleさんから言われるのかなあ。今からググりますよ。
ごめんねブログでデトックスしちゃって。
毎度のことながら、ノウハウたまってきてますよ!
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10日刻みでtime machineでバックアップしてまして、
かつ、前回のクラッシュ以降、そー前回はtime machineでバックアップ中にクラッシュしたんですよ。あり得なさすぎ。
クラウドに預けられるものはそっちに置くようにしてますので、そこそこ復旧はできるかと。
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というわけで、関係者のみなさま。
これまでの経験上、その都度、外部書き出し&管理してますのでご安心ください。
心配な点などありましたらメールください。
話が黒くならないうちに、取り急ぎご報告まで
ご自愛ください
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人を自由にする知恵の道具: iPadヨタ話
iPad(http://www.apple.com/ipad/)出ましたね。
発表から2日経った現在の記録に、思ったことを書き留めてみます。
新しいイノベーションが出ると、過剰にオプティミスティックな妄想が爆発しますよね。そんな話。
“The iPad is for consuming media, not producing media — I don’t like that direction.”REAS
twitter上のTLを見ていて、おおきくナットクしながら、さっきフロ入りながら考えていたら、いやそうでもないかも、と思いはじめ、最後によた話的な妄言まで想像してたので、同意と反論と妄言をまとめます。
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1.情報は、コンピュータで生産、iPadで消費?
パソコン使う層とケータイで十分という層の区分けのようなものが、iPadの出現で、情報生産する層と情報消費する層に分かれる。
前述のtwitter上の発言は、このような指摘と解釈しました。
これまで、おおざっぱなくくりとしてコンピュータを使っていた人々が、生産しやすい道具を求めてコンピュータを使い続けるか、消費しやすい道具を求めてiPadを買うかに分かれる。
コンピュータでゴリゴリ生産する層と、iPadで消費する層。
ネットブックよりも情報消費が楽しい道具の出現。
でもそうかいなと。
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2.iPadならではの情報生産を支援する環境が出てくることを期待。
個人的な経験に照らし合わせるに、osXに移行した直後はsafariでネットするぐらいしか使い道がなくて、生産はos9側でやっていた。そして、時間の経過とともにosX上の生産環境が充実した。
iPhoneもよく似た経緯を辿っているように思う。twitterとかustreamとか、iPhoneならではの新しい遊び方、使い方によって、情報の生産消費者が出現した。
なのでiPadも、情報消費の道具に完結しない、iPadならではの生産のための環境がappstoreから出てくると期待したい。
それはどんな使われ方をする?
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3.与太話
物理的に人と会って、おしゃべりしながら、アイデアの連想ゲームをする。対面しながら知恵比べする。その時、彼らの間のテーブルや、あるいは芝生の上にiPadは転がっている。新しい遊び方、使い方の為の、らくがき帳みたいない存在で、情報の生産消費を支援する。
ほとんどなにも考えないで指で触れて、ひらめきの記録と構造化と検索が切れ目なく行われる。下向きに覗き込めるというのがいい。
逆に、iPadの出現から、ノートパソコンを見返すと、ノートパソコンはずいぶん不思議な存在だったのではないかと思えてくる。ミーティングなど対面でやりとりするのに、人によっては間にノートパソコンを置いて、モニターを立てて壁を作ってしまう。彼は目の前の相手よりもノートパソコンのモニターと話してしまっている。
Wireless Keyboardが使えるというのが決め手で、買う気まんまんですよ。
あんまりゼニくさい方面の、消費のためのプラットフォームばかりじゃなく、
生活のたのしさの延長の、我々のためのメディアであってほしい

We’ve always tried to be at the intersection of technology and liberal arts — we want to make the best tech, but have them be intuitive. It’s the combination of these two things that have let us make the iPad.
iPadの電子ブックリーダーというところは、あまり興味なし。
あくまで妄言ですから、真に受けないでね。
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謹賀新年
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0616
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